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ワイワイプラネット専任講師のギャレス先生は、 1999年、中学校や高校で英語を教えるALTとして、イギリスから初めて日本に来ました。

ギャレス先生の故郷はイギリスのDerby Shire(ダービーシャー=ダービー県)のダービーというところで、 ロンドンとマンチェスターのちょうど真ん中くらいに位置している、人口24万人くらいの小さな都市です。

 

 

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そんな地球の裏側で生まれ育ったギャレス先生が、どうして日本に来ることになったのでしょう?

そして、何故、大分市で英会話を教えているのでしょう?


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まず、小学校のときは、4年間、柔道クラブに所属していました。

日本のアニメ「ガッチャマン」(イギリスでは「G force」)や、 ドラマ「西遊記」(イギリスでは「Monkey」です←そのまんま、笑)をテレビで見るのが大好きでした。

 

あと、ダービーには、トヨタの工場があるので、時々、日本人に出会うことがありました。


日本に来るきっかけ

 

 

そして大学生のときに、日本の高校や中学校で、英語を教えるALTという仕事があることを知りました。

ちょうど、自分でお金を貯めて大学院に進学したいと考えていたし、 そんなこんなで、少なからず、日本に興味があったので、そのALTの選考に応募しました。

そして、見事に合格

英語を外国語として学ぶ人たちに英語を教えるためのTEFLの資格を取得し、初めて日本に来ることになりました。


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そんなわけで、大学卒業後、ALTとして初めて日本に来たギャレス先生。

最初に行った東京は、びっくりするぐらい刺激的で、大興奮でした。

そして数日後、赴任先が発表され、ギャレス先生は大分に来ました。

大分空港に着いたとき、あまりに周りに何もなくてびっくりするやら、暗い気持ちになるやら・・・。

しかも、メインで行く学校は佐賀関にありました。

皆さんもご存知だとは思いますが、海が綺麗で、魚もおいしい町です。 でも、さすがに、東京を見たあとの佐賀関は、なんとも言えず寂しい所でした。

 


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中学校や高校で英語を教えること、それはギャレス先生にとって、 楽しい反面、大変な部分、難しい部分も多々ありました。

例えば、職員室でだれも英語を使って話しかけてくれない、 そのため、学校のことや会議のことがよくわからない。

赴任先のメインの高校が、進学校ではなかったこともあり、 生徒の英語に対する興味が薄い。

日本人の英語の先生のやりたいこと、つまりは、学校側がギャレス先生にしてほしいことが、 ギャレス先生の考える英語の習得の仕方と、あまりにかけ離れていること、等々。

葛藤の日々だったそうです。

それでも、2年目は、赴任先も変わり、日本での生活にも随分と慣れて、 あまり苦労することがなくなってきました。


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ALTの就任期間が終わり、イギリスに帰ることになったギャレス先生。 当初の予定通り、帰ったあとは、大学院に入りました。

修士課程、博士課程と進み4年くらいがたったとき、結局、日本に住んで英語を教えたい、 でも英語にまるで興味が無い人たちにではなく、英語を学びたいと強く思っている人たちに教えたい、 と強く考えるようになっていました。

(こんな風に、人生って時々、予定していなかった方向に行くことがありますよね。)

再び、日本に戻ることを決意しました。2005年のことでした。

 


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当時、つきあっていた彼女と結婚し、日本に住むことにしたギャレス先生。

その彼女は、自分で子供英語教室を開いていたので、そこで一緒に教えることにしました。 (彼女は現在の妻、そして、この子供英語教室こそがワイワイプラネットだったのです。)

子供専門の教室でしたが、ギャレス先生が加わったことで、大人クラスもその頃から始まりました。

こうしてギャレス先生は、ワイワイプラネットの専任講師となりました。


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日本人の皆さんは、中学校、高校と英語を習いますから、ある程度の単語や基本的な表現など、 覚えている方が多いと感じます。

一方では、文法にこだわって、間違いのないように気を付けすぎて、話せなくなってしまっている場合も 多いようです。

でも、日本の皆さんは、とても真面目で、よく勉強しますから、 きっと、少しやり方を変えれば、きっと英語が上達します。

私は時間のあるときは、水彩画を描いているのですが、毎日続けて描いていないと、 すぐに下手になってしまうのがよくわかります。

また、始めの頃から比べると、やはりはるかに上手くなったと思います。 英語もそれと同じだと思います。

続けることが大事です。少しずつでも続けていれば、必ず結果がついてきます。 皆さんは、安心して私についてきてくださいね。

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私が、日本語を学習するときに一番苦労したのは漢字を覚えることでした。 日本人が、どうしてあんなにたくさんの漢字を読めて書けるのか、不思議でした。

更に、ひらがなとカタカナも使いこなしているんですから驚きです。

また、英語を話すときに、非常によく「some」という言葉を使うのですが、 日本語では、そんなに使うことが無く、自分の英語の感覚をそのまま日本語に取り入れてしまい、 変な日本語になってしまうことが、今でも多々あります。

敬語や丁寧語に関しても、なかなか上達しません。

私にしてみれば、日本語習得の方が難しいのでは?という気持ちでいっぱいです。

今後は、6歳の娘と一緒に、絵本などを通して、日本語を学んでいくつもりです。


実は、私は「水彩画家」としても、日々活動しています。
もう15年くらいずっと水彩画を描いていて、年に数回、個展を開いたり、
絵画やそのカレンダー、絵はがき等の販売も行なっています。

水彩画も毎日の積み重ねで上達しました。

英会話も同じです。積み重ねていくと、必ず大きな実を結びます。
そして、いつまでも学んでいく姿勢を大切にしましょう!!

以下、私の水彩画のサイトです。

日本語版はこちら。(私の日本語の勉強にもなっています。)

英語版はこちら。(皆さんの英語の学習にも役立つと思います。)


講師兼代表

大人クラス以外のクラスをギャレス先生と一緒に担当している講師 兼 ワイワイプラネットの代表のJunkoです。

出身は大分市です。

児童英語講師になるための養成講座を修了後、2002年にワイワイプラネットを開講。 ギャレス先生が参加するまでの5年間、0歳から高校生の指導をしていました。

兄が英語教室に通い始めたのをきっかけに、私も絶対入りたいと両親にお願いして 入れてもらいました。小5のときでした。

そして、すごく綺麗な発音で話す先生(女性)にすごく憧れを抱いていました。 なんというか、日本人なんだけれど、日本人じゃないような、かっこいい先生でした。 昭和時代の大分では、そんな女性は、珍しかったと思います。

私は、今でもその先生に憧れていて、心の中では、いつも目標です。

子供時代にどんな大人に出会うのか、で、人生が決まることもあるんだと思います。 だから、私も子供たちに、「Junko先生みたいに英語話せるようになりたい!」って思ってもらえるよう、 がんばります。

以降、途中の様々な出来事は、ここでは省かせていただきますが、 2001年に、「児童英語講師講座」を受講、修了。

2002年4月、 子供英語専門の教室、ワイワイプラネットを正式にオープンしました。

そして、2005年から、ギャレス先生も教えることになり、大人クラスも始まりました。

今は、0歳~大人までのどの年齢の方でもレッスンできるので、それが嬉しいです。

3人の子供の母親として、そして、まだまだ英語を学ぶ者として、 生徒さんたち、また保護者さまたちが安心して続けられるように、サポートしていきたいと思います。 私たち二人は夫婦ですので、英語ででも、日本語ででも、英語に関することなら、何でもお気軽にご相談ください。 山下純子 鏡面 背景抜き山下